不遇の世代だけど・・・

私事

みなさんこんにちは!

今日は私が歩んできた人生を少しだけ紹介します。

高校卒業してから週休二日制

私の世代は何かと変革をもろに受けてきた世代ではないかなあとつくづく思う時があります。高校3年生だったころ、世間では週休二日制の議論がされていて学校で採用され始めたのが翌年からという、なんとも残念で後輩たちが羨ましいと思った記憶があります。その後大学へ進学したのですが大学はそもそも単位制なのでその恩恵をガッツリ受けることはありませんでした。まあ、バイト三昧でほとんど勉強はしませんでしたが(-_-;)

最初に入った会社

更に、卒業前後は戦後空前の超就職氷河期。数十社に及ぶエントリーを行っても面接さえしてくれない所が大半で限りなく条件面で妥協を強いられる就職活動でした。やっとの思いで就職できた最初の会社は通信機器販売の営業で固定給8万円。え?いつの時代の給与体系?と思うかもしれませんが、まぎれもなく今から約22~3年ほど前の話です。交通費(自腹)、営業車(自前)、携帯電話(私物で全額自費)で毎日400km程車を走らせて契約を取りに行く営業会社でした。もちろん、営業なので顧客から平日、休日問わず電話が鳴ります。そんな生活を何とか1年間は辞めずに頑張ろうと自分を振るい立たせて勤めました。月のガソリン代や携帯料金、車の維持管理などで固定費は吹っ飛んでしまいますので要は生活費は自分が契約を取って稼ぐしかありませんでした。ちなみに歩合給は月に100万円以上成約で6%(6万円)、100万に満たなかったらもちろんゼロです。( ゚Д゚)今思えばよく頑張ったと自分を褒めてあげたいです。

2つ目の会社

前の会社を辞める決心をしてから転職活動を行っていましたが、地元志向の当時の私は転勤がある会社は敬遠していました。たまたま求人で見かけた仕事が『転勤はありません。出張が近県までの日帰りのみです』に書かれてあったのと、9時出社に惹かれて応募し、採用されました。

会社の規模も給料も前の会社とは雲泥の違いに私は歓喜の声を上げて喜びました。ここなら『腰を据えて頑張れる』と思ったのです。

入社後1週間の研修を終えて配属された部署は人材紹介のコーディネーターで電話で今ある仕事を紹介し、企業とマッチングさせる業務につきました。配属初日にオリエンテーションを受けて業務を開始しましたが、定時の18時を過ぎても誰も帰ろうとしません。(;・∀・) それどころか、夕方に続々帰ってくる営業職がフロアーに参戦して何やら活気づいていました。

そう、仕事紹介は無職の人だけではなく転職希望者へも紹介します。無職の人は日中電話に出てくれますが、就業中の人は当然なかなか電話に出てくれません。夕方からの時間は就業中の人への紹介タイムだったのです。( ゚Д゚)その日の仕事を終えて事務所を出たのは23時でした。

完全週休2日だったこと、給料が前職よりも良かったこともあり、何とか食らいついてがむしゃらに働きました。そんな生活が3か月程続いたある日の夕方に私は上司から個室に呼び出されました。

『来週から名古屋に出張に行ってきて。期間はとりあえず1か月』

え?(出張は近県で日帰りじゃなかったの?) 私は頭の中が真っ白になりました。結局、私が出張を終えて帰ってきたのは3か月後のことでした。

ようやく帰ってきたのも束の間、それからわずか1か月後の年末にまた上司から呼び出しが。。。

『年が明けて1月から福井県へ転勤な!』

この言葉を聞いた時、さすがに頭に『辞めようかな』が駆け巡りました。

そんなこんなで様々なエピソードがまだまだたくさんありますが、結果的に私はこの会社に9年在籍していました。

まとめ

 

これまでの話を聞いて、前向きになるエピソードなんてかけ離れていると思ったあなた、違うんです。私はすべての出来事に感謝しているのです。今の私を形成した源であり、ポジティブになれたキッカケもすべてこの中に詰め込まれてます。

大学卒業してから今までに3つの会社に所属しましたが、完全週休二日制だったのは1つだけ(-_-;)その唯一の会社もリーマンショックの影響をもろに受けて業績悪化になり今の仕事についています。

今日は長くなったのでこの辺で終わりたいと思いますが、次の記事についてはそれぞれこの状況下でどういう風にポジティブに捉えていったのかを解説していきたいと思いますので、楽しみにしてください。 それではまた(^^♪

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